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東京地方裁判所 昭和61年(行ウ)115号 判決

主文

原告と被告との間の東京地方裁判所昭和六一年(行ウ)第一一五号懲戒免職処分取消請求事件は、原告の平成三年三月一一日になされた訴えの取下げ及びこれに対する被告の同月一四日になされた同意により終了した。

原告の平成三年九月三日付け書面による口頭弁論期日指定申立以後の訴訟費用は原告の負担とする。

理由

第一  事案の概要

原告は、主文一項掲記の訴訟事件(以下「本件訴訟」という。)につき、自筆で署名した訴えの取下書を提出し(以下、これを「本件取下げ」という。)、これに対し被告が同意したところ、右取下書の作成、提出は無効であるとして、本件訴訟の口頭弁論期日の指定を申し立てた。そこで、本件訴訟事件の訴訟終了の有無が争われた。

一  裁判所に顕著な事実及び争いのない事実等

1  原告は、郵政事務官で全逓信労働組合(以下「全逓」という。)に所属し、昭和五三年から同五四年にかけて全逓の指導の下にいわゆる反マル生闘争に参加したため、被告から昭和五四年四月二八日付けで懲戒免職処分(以下「本件処分」という。)を受けた。そこで、原告は本件処分の取消しを求めて本件訴訟を提起したが、平成二年一〇月一一日、本件訴訟の取下書に署名した。そして、原告は、同日、右取下書を全逓東京西北地区書記長京極秀輔に交付した。

2  原告は、平成三年二月二四日、平成二年度第二回郵政職員採用試験を受験したが、右試験の合格発表前の同年三月一一日、右取下書は当裁判所に提出され、被告は同月一四日、この取下げに同意した。

3  郵政省東京郵政局は、同月一六日付けで右試験の合格発表を行つたが、原告は不合格であつた。

二  本件取下げの効力に関する原告の主張

1  刑事上罰すべき他人の行為

(一) 郵政省ないし全逓の詐欺

本件取下げは、郵政省ないし全逓の刑事上罰すべき詐欺行為によるから無効である。

(二) 全逓役員らの脅迫による強要

本件取下げは、全逓東京西北地区委員長らの刑事上罰すべき脅迫による強要行為によるから無効である。

2  取下げの意思表示の瑕疵

右1の主張が認められないとしても、本件取下げは著しく信義に反する行為によるものであり、原告の真意に反し、その利益を著しく害するから無効である。また、民法の意思表示の理論に準じて詐欺又は脅迫を理由に取消しが認められるべきである。

3  取下げの意思表示の錯誤

本件取下げは、原告が受験をすれば職場に復帰できるものと誤信してしたのであるから錯誤により無効であり、仮にそうでないとしても、取下書提出時に取下げの意思がなかつたから、表示上の錯誤で無効である。

4  被告の取下げ同意ないし取下げによる訴訟終了の主張の信義則違反

郵政省は、原告に受験すれば再採用されると誤信させて本件取下げを図り、または、少なくとも全逓が原告を欺罔するのを知りつつ放置していたから、被告が本件取下げに同意することは従前の態度と矛盾し信義に反し無効であり、取下げによる訴訟終了の主張をすることも同様に許されない。

5  取下げを放置することは正義に反し、かつ、取下げ無効の主張を排斥する訴訟上の利益もない。

原告が少なくとも結果として騙されて本件取下げをしたこと自体は明らかであり、このような事態を放置することは正義に反する。他方、東京地方裁判所昭和六一年(行ウ)第一一五号、一一六号事件が他の原告との関係で進行しており、また、本件取下げ無効の主張が排斥された場合、原告は、本件処分の無効確認等の訴訟を新たに提起することとなるから、無効の主張を排斥する実質的利益もない。

第二  当裁判所の判断

一  認定事実

1  本件処分をめぐる郵政省と全逓との交渉経緯

《証拠略》によれば、本件処分をめぐる郵政省と全逓との交渉経緯は、以下のとおりであることが認められる。

全逓は郵政省に対し、本件処分に関し、その直後から処分は不当であるから無条件で職場に復帰させるべきである旨の申入れを数回なしたが、これに対し郵政省は、そもそも団体交渉になじみにくく、実行行為を現認して行つた処分であるから不当ではないし、裁判所において係争中である等の理由で右申入れを拒否してきたため、交渉は全く進展しなかつた。しかし、昭和六三年に河須崎暁(以下「河須崎委員長」という。)が全逓委員長に就任してから交渉の回数が多くなり、ほぼ同時期に郵政省大臣官房人事部長になつた桑野扶美雄(以下「桑野人事部長」という。)と平成二年二月頃までの間に非公式の会談が五、六回行われた。

河須崎委員長は、右会談の際、単なる処分の撤回だけでなく、就職斡旋なども含めて力を貸して欲しい旨要望したのに対し、桑野人事部長は処分の撤回は考えられない旨の回答を続け、平成元年暮れないし同二年春頃、河須崎委員長から、採用試験を形式的に受験するからその中から何人か再採用して欲しい旨の要望がなされた際にも、桑野人事部長は、断固右要望を拒否した。

河須崎委員長は、平成二年三月頃、人事部長室で桑野人事部長と会談を行つた際、受験した上での再採用を要望したが、桑野人事部長は、従前同様、試験は受けるからとにかく何人かは採用してくれという意味での再採用であればそれはできないと断つた。この会談の際又はその前後頃、河須崎委員長から桑野人事部長に対し、再採用のほか、就職斡旋や自立などをも含めた形で整理に入りたい旨の申入れがあり、桑野人事部長も就職斡旋については検討する姿勢を示したが、再採用については依然として平行線のままであつた。

同年六月頃、深谷郵政大臣(当時)と日本社会党の田辺衆議院議員及び大森参議院議員とが会談し、田辺議員は受験による再採用、民間への就職斡旋などの提案をしたところ、郵政大臣は、国家公務員として復職するのは無理であるが、民間への就職斡旋というのは一つの知恵のような気がする旨回答し、その場で同席していた桑野人事部長にも再採用について質したが、同人事部長も再採用は無理である旨回答した。

同年六月二六日、右会談を受け、桑野人事部長と河須崎委員長とが会談し、本件処分問題の整理に入るに当たつて郵政省としてどのような手助けができるかにつき、同人事部長は、当時郵政省大臣官房人事部管理課課長補佐であつた平勝典作成の鉛筆書の文書(乙九〇六号証の原案となつたもの)を示し、その趣旨について、採用試験の受験を希望する者がいる場合には総合的な成績を公正、慎重に判断するということであつて、試験を受ける前から何人かを合格させるとか試験を受けても合格させないとかについては言及しないということである、給与格差について言及したのは、実際に試験を受けて採用されたとしても現実問題としてこれだけの給与格差が出るという客観的な事実を認識した上で本人の自由な意思で受験するかどうかを決めて欲しいという趣旨である旨説明した。これに対し、河須崎委員長は、この内容で整理に入りたいが、再採用については実績が出るよう配慮して欲しい旨述べたところ、桑野人事部長は、実績にこだわるのであればこの話には乗れないとして拒絶した。

同年七月、人事部長が桑野から渡辺民部に交代した後、河須崎委員長と同人事部長との間で、二回会談が行われたが、その際も、河須崎委員長は、受験した者の中から何人かは採用して欲しい旨要望したが、渡辺人事部長はそれは絶対にできないと断り、後記認定の八・二二文書について、「郵政省への再就職の道及び郵政省関連企業への就職斡旋について途をひらいたこと」というのは再採用についていかにも期待を抱かせるような書き方であり、従前からの整理と異なる部分がある旨申し入れた。

その後、郵政省と全逓との直接交渉はなく、社会党国会議員から関谷郵政大臣(当時)や中村事務次官(当時)に対して、何人か合格させるようにとの要望があつたが、郵政大臣は、それはできないので民間への就職斡旋の努力をしている旨回答し、事務次官も試験は公正に行う旨回答した。

2  全逓の本件処分問題に関する組織決定

《証拠略》によれば、全逓の本件処分問題に関する組織決定については以下のとおりであることが認められる。

平成二年八月初旬に行われた全逓の反処分指導委員会において、全逓本部の書記長又は企画部長から、裁判が長期化していること、被免職者が高齢化していること及び郵政省の姿勢が軟化していることから、受験資格のある者は採用試験を受験し、何とか再採用の道を探るため、本件訴訟を取り下げることの提案がなされた。その際、交渉の過程において郵政省が再採用された場合の給与格差、職場環境の変化などについて言及したことが話題となり、これは従来に比べれば郵政省の姿勢が変化してきた証拠であり、引き続き努力はするが、これを契機に再採用の道を探つて行く旨の説明がなされた。

全逓は、同年八月二二日、仮処分指導委員会において、本件訴訟の取下げの方針を確認するとともに、犠牲者救済措置適用の特例のほか、原告らの生涯生活設計に関して、〈1〉郵政職員採用試験受験有資格者の受験、〈2〉民間企業への就職斡旋、〈3〉自立の途を進めるという対処方針を決定し(以下、これを「八・二二方針」という。)、下部組織の説得に用いるために「四・二八処分闘争に関する仮処分委員会の判断」と題する文書を作成した(以下、これを「八・二二文書」という。)。

同年一〇月二八日から三〇日までの間、全逓東京地方本部大会が開催され、八・二二方針についての成嶋委員長の補強見解が示された上、右方針が確認された。

3  原告の本件取下げの経緯

前記第一の一の事実と《証拠略》によれば、原告の本件取下げの経緯は以下のとおりであることが認められる。

原告に対する八・二二方針の説明は、平成二年一〇月三日、原告が当時勤務していた全逓東京西北地区書記局において、井垣東京西北地区委員長のほか京極同地区書記長、加藤同地区執行委員、小林同地区北部支部長、飛田同地区北部副支部長及び佐々木赤羽総分会長が同席して行われた。その際、右委員長は原告に対し、八月二二日の仮処分指導委員会における確認内容の説明に加えて、本件訴訟を取り下げることに同意してもらいたい、もし再採用、再受験という道を選択したいならば、郵政関連企業または民間企業への就職斡旋、自立という道もある、そのいずれについても将来が展望し得るような経済的措置も考える旨の説明をした。その際、原告から本件訴訟を取り下げることに同意しなかつた場合はどうなるのかという質問があり、これに対して右委員長は、これは組織決定であるから、従わない場合には組織から離れてもらうことになる旨かなり強い口調で答えた。また、受験した場合の合格の可能性については、京極書記長から一〇〇パーセント合格させるよう努力する旨の発言があつたが、合格の確証があるとか、合格を条件に取下げを求めるものであるとかの発言はなかつた。

これに対して、原告は、今日は即答できないので考える旨回答し、説明は終わつたが、以上に要した時間は約一時間であつた。

原告は、一〇月六日に右書記長に、本件訴訟を取り下げ再受験をする旨電話で伝え、一〇月九日に取下同意書に署名し、一〇月一一日に取下書に署名し、同地区本部事務所において右書記長にこれを手渡した。

その際、右委員長は、原告から取下書はいつ裁判所に提出するのかを問われたので、全逓本部に一任して欲しい旨回答した。その後、全逓から原告をはじめとする受験者に対して過去の教養試験問題等を勉強しておいた方がよい旨の助言があり、また、受験票のコピーを全逓東京西北地区本部に提出するようにとの指示がなされた。

4  本件取下げに至る全逓本部の対応

前記第一の一の事実と《証拠略》によれば、本件取下げに至るまでの全逓本部の対応は以下のとおりであることが認められる。

河須崎委員長は、再受験した場合の合格の可能性について、郵政省側の態度は堅いものの議員団による政治折衝の経過などに照らしてゼロではないとの認識を持つていたが、一方で本件訴訟を維持しながら再受験再採用の話を進めることは無理であるとの判断をしており、政治折衝等によつてぎりぎりまで努力は続けるが、それでも確証が得られない場合には、議員団に最後の詰めをしてもらうためのアピールとして一任されていた取下書を裁判所に提出することもやむを得ないと考えていた。そして、三月一〇日頃、いよいよ最終的な段階に来たと判断し、取下書の提出を決断して、その旨指示し、三月一一日、取下書を当裁判所に提出した。

河須崎委員長は、取下書を裁判所に提出するに当たり、郵政省と何らの折衝もしておらず、右試験の合格発表後、河須崎委員長が試験の結果について郵政省に対して不満の意を表明したが、これも騙されたとか話が違うなどという抗議ではなかつた。

河須崎委員長は、平成三年七月、最終的に自分の判断の誤りから組織の判断を大局的に誤らせたことに責任を痛感し、委員長の職を引責辞任した。

二  本件取下げの効力について

本件取下げの効力について判断する。

1  刑事上罰すべき他人の行為によるものである旨の主張について

(一) 郵政省又は全逓の詐欺によるものである旨の主張について

原告は、全逓の訴訟取下げという判断は、郵政省側の採用確実という言質がなければあり得なかつたのであり、郵政省は初めから採用の意思もないのにこれがあるかのように全逓を欺罔し、もつて原告をも欺罔して本件取下げを行わせたのであるから、本件取下げは郵政省の詐欺によるのであり、刑事上罰すべき他人の行為によるのであつて無効である旨主張する。

しかしながら、前記認定事実によれば、郵政省が全逓に対して原告が主張するような約束を与えた事実はなかつたのであり、全逓の委員長も郵政省からこのような言質を取つたという認識を有していなかつたことが明らかであり、他に原告が主張するような郵政省が全逓に対して詐欺を行つたことを認めるに足りる証拠もない。

原告は、郵政省側が採用確実との言質を与えなければ訴訟取下げという方針が出されるはずがない旨主張するが、公正であるべき公務員採用試験実施の当局者が、受験者の一部の者を試験の成績にかかわらず不正に合格させるという約束などできるはずがないのであつて、郵政省がこのような言質を与えたことも全逓がこれを信じたということも到底認めることができない。

次に、原告は、仮に郵政省が原告の主張するような言質を与えていないとすれば、全逓が受験による採用の見通しがないことを知りながら採用が確実であるかのように原告を欺罔して本件取下げを行わせた旨主張する。そして、前記認定の事実によれば、全逓において、郵政省との折衝を通じて、受験さえすれば無条件で再採用されるという意味での再採用の見込みはほぼないと認識していたにもかかわらず、河須崎委員長が起案した八・二二文書には「省の態度は公式文書によるものではありません。しかしそれなりに確度の高いものであります。」などと再採用について過大な期待を抱かせかねない記載もある。しかしながら、右証拠も全逓が郵政省の態度について原告を含む被処分者を一般の受験者と同様に扱うというにすぎないと認識していたことと矛盾するものではなく、かえつて、右認定の事実によれば、全逓反処分指導委員会は、八・二二文書に記載されている諸事情を考慮の上、本件訴訟の取下げを組織決定するとともに、犠牲者救済措置適用の特例のほか、原告らの生涯生活設計に関して、〈1〉郵政職員試験有資格者の受験、〈2〉民間企業への就職斡旋、〈3〉自立の途を進めるという八・二二方針を立てて、原告らにその選択をさせた上、受験準備についても言及しているのであつて、全逓としては、形式的に受験さえすれば再採用されることについて一縷の望みをつないではいたものの、郵政省の立場が一般の受験者と同様に扱うにすぎないという場合を想定してそれに備えていたことが明らかであるから、全逓が受験による採用の見通しがないことを知りながら採用が確実であるかのように原告を欺罔したと認めることはできない。

また、原告は、平成二年一〇月三日に井垣委員長らから取下げの説得を受けた際、京極書記長らから「全逓としては一〇〇パーセントの合格を信じてこの方針を決定した。確約ということはないけれども合格について確証はある」と受験すれば必ず合格するかのような文言を用いて説得を受けた旨主張し、原告本人尋問の結果中にもこれに沿う部分もあるが、これは京極証言に照らして信用できない。

(二) 井垣委員長らの脅迫によるものである旨の主張について

原告は、平成二年一〇月三日、全逓東京西北地区書記局において、井垣委員長ら六名に取り囲まれ、本件訴訟を取り下げなければ組織を追い出す旨告知されたが、これは強要罪に該当し、これに従つてなされた本件取下げは刑事上罰すべき他人の行為によるのであり無効である旨主張する。

確かに、前記認定の事実によれば、右委員長は、右同日、原告に対し、郵政職員採用試験受験、民間企業などへの就職斡旋及び自立の途の三つの方途があるが、その前提として裁判は取り下げる必要があり、もしこれに従わなければ組織から離れてもらうことになる旨述べて本件訴訟の取下げを求めたのであり、原告本人尋問の結果中にも、その際の井垣委員長の態度は説得という感じではなく頭ごなしで、言葉の調子もかなり強かつた旨の部分がある。しかし、八・二二方針が組織決定である以上、これに従う義務のあることは組織の一員としてやむを得ないところであるが、この義務を履行するか否かは個人の自由であり、原告本人尋問の結果からも原告についても右の自由のあつたことが認められ、右のような程度の言動をもつて直ちに脅迫とか取下げの強要と評価することはできない。

2  意思表示に瑕疵があるから無効である旨の主張について

原告は、本件取下げは他人の詐欺又は脅迫による意思表示であるから、これらが刑事上罰すべき行為に当たらなくても、著しく信義に反する行為であり、原告の利益を著しく害するから無効である旨主張し、仮に無効でないとしても民法の意思表示の理論に準じて取消しが認められるべきである旨主張する。

しかしながら、前述したとおり原告の主張する如き詐欺や脅迫の事実は認められないのであるから、これらを前提とする原告の主張は理由がない。また、訴の取下げは、訴訟行為であるから、民法の意思表示の理論は原則として適用されず、詐欺、脅迫等刑事上罰すべき他人の行為によつてなされたときに限り、その効果を否定することができるにすぎないと解すべきであるから、原告の取消しの主張も採用することができない。

3  錯誤により無効である旨の主張について

さらに、原告は、受験すれば職場復帰できるものと誤信して本件取下書に署名したのであり、本件取下げは錯誤によるものであるから無効である旨主張し、また、本件取下書が裁判所に提出された時点においては原告は取下げの意思を有していなかつたのであるから、右取下書の提出は表示上の錯誤によるものであり無効である旨の主張をもする。

しかしながら、公正であるべき公務員採用試験実施の当局者が、受験者の一部の者を試験の結果にかかわらず合格させるという約束などできるはずがないことは、通常人であれば容易に理解し得るところであり、原告もこれを十分に認識していたはずであつて、右認定の事実関係において原告が、受験をすれば成績に関係なく職場復帰できると信じていたと認めることは到底できない。

また、仮に右のような錯誤があつたとしても、右2において説示した理由により、本件取下げの効力が否定されることはないと解すべきであるし、仮に右錯誤が存し、かつ訴えの取下げにつき民法九五条が適用されるとしても、右錯誤は動機の錯誤にすぎず、この動機が本件取下げに際し表示されたことを認めるに足りる証拠もない。

4  被告の同意ないし取下げによる訴訟終了の主張が信義則違反である旨の主張について

原告は、郵政省は原告に対し試験を受験すれば再採用されると誤信させて本件取下げを図り、または、全逓が原告を欺罔するのを知りつつ放置していたのであり、被告が本件取下げに同意した三月一四日の時点では原告を再採用しないことについて内部的には確定していたはずであるから、被告の本件取下げに対する同意ないし取下げによる訴訟終了の主張はかかる従前の態度と矛盾して許されず、信義則に反する旨主張する。

しかしながら、右に判示したとおり、郵政省側が、原告が採用試験を受験すれば必ず合格させる旨の約束をして本件取下げをさせたと認めることは到底できないし、全逓内部の問題について郵政省側に作為義務があるわけでもないから、原告の右主張は失当である。

5  訴訟経済上の利益等の主張について

原告は、本件取下げの無効についての主張が排斥されても、本件処分の無効確認等の訴訟を新たに提起することになるから、無効の主張を排斥する利益はない旨主張する。

しかしながら、訴えの取下げの有効無効の判断は、無効原因の有無の認定に従つて厳正に行われるべきものであつて、原告の右主張は、無効原因の有無とは次元を異にする問題であるから、このような余事を考慮に入れるべきではなく、結局、原告のかかる主張は失当である。

三  結論

以上によれば、本件取下げを無効とすべき理由はないから、本件訴訟は右取下げ及びこれに対する被告の同意により終了した。

(裁判長裁判官 林 豊 裁判官 小佐田 潔 裁判官 蓮井俊治)

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